太田道灌と八重ヤマブキの歌…実は

「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」
これは太田道灌が蓑を借りようとして、庵の娘に断られた時の歌として有名ですね。この歌は、今まで庵の娘が作った歌として紹介されてきましたが、本当にそうでしょうか?調べてみましょう!

 八重のヤマブキは普通のヤマブキよりも少し遅れて咲き、ずっと華やかなのに、実は実りません。
一重のヤマブキには実がなるのですが、八重ヤマブキは雄しべが花弁に変化していて、更に雌しべも退化しているため、実がならないのです。

 娘は八重ヤマブキに実のなければ、お貸しするもないということを歌ったのです。でも道潅は歌心がなかったため理解できずに、怒って娘の庵を後にしたというお話でしたね。後に道潅はこのことを恥じ、歌の道に励んだということです。

八重ヤマブキ

 さて、この歌は娘の作とされていますが、実は、遡って中務卿兼明親王の作
「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞあやしき」(後拾遺集1155) 
をもじったものと言われます。詞書には「嵯峨野、小倉に住んでいたころのこと。雨の日に蓑を借りに来た人に八重ヤマブキの枝を渡した。ところが意味を理解できなかったその人が問い合わせてきたので、次のような歌を詠んで送った」ということが書かれています。

 これを後世(江戸時代)の人々が道潅の逸話として作り直したのが真実だと考えられています。これを基に落語や絵画,漢詩も制作され、現在にも伝えられています。

 蓑もない貧しい庵の娘がこのような立派な歌を詠むならばそれはそれで素晴らしい!でも江戸の人々が昔の歌を題材に新たなストーリーを作り出す……それもなんと粋なことでしょう。

それより以前万葉の時代からヤマブキの歌は多く歌われていますが、八重ヤマブキには実がならないという歌も数種歌われています。
「花咲きて、実はならねども、長き日(け)に、思ほゆるかも、山吹の花」 (1860番) 詠み人知らず
         

このようなことを思いながら花散歩をしていると、ヤマブキも八重ヤマブキも一層愛おしく、もの言いたげに見えるのは気のせいでしょうか?

   参照:実のならない八重山吹 :: 同志社女子大学 (doshisha.ac.jp
     :花を詠んだ俳句・短歌 1(春) (hana300.com) 

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